続・空手について10

■審査

これは、〇真宗家の本部で昇級審査をさせていただいた際(2002年)の写真。まだ青帯には早いと思っていたが、〇真の聖地で受審できる非常に稀有な機会と考え、受けさせていただいたのだった。

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年季の入った飴色の木の床、香取大明神を祀った社、静謐な空気、そのすべてが、〇真空手の大先輩方の歩まれてきた歴史の証だと思うと、全身がふるえてならなかった。

近年、社会体育として女子や中高年にも門戸を開いた空手の世界に、片足とはいかないまでも踏み入れさせていただいている。

それが、うれしい。

もっと早く空手と出会いたかったと幾度思ったかしれやしないが、在籍させていただいている★大ガードそばの道場★で、黒帯を拝受するのが、6年前のあの時から、私の変わらぬ夢である。

黒帯は、ゴールではなく、スタート。終わりなんて、きっとない。

■生涯武道

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入門時、私は大山〇達先生も存知上げなければ、空手のカの字も知らなかった。しかも、ケガを恐れ、フラッシュバックに悩まされた一時期もあった。

なのに、今はケガも友だちだ(笑)

肋骨にヒビ入りで参戦したこともあるし、ふくらはぎの肉離れやくるぶしのヒビ、手の小指のヒビや、腰仙関節や膝の靭帯損傷。だいぶいろいろ経験したが、次第に、またやっちまった、と受け止めるようになった。

「トシを考えず無理するからだ」との周囲の親身の忠告も忘れ、ケガに限らず「人の言うことを聞かない」ババアとして呆れられながら、今日まで続けてきてしまった。

おまけにここ一週間余は、尾骨損傷で一時安静だった。

こんな状況でケガに注意して稽古していきたい、などとほざいても発言に信憑性はないだろうけど・・・

一生空手を続けたい。

道場の理事長は70歳をすぎても、凛として現役指導をされていらっしゃる。及ばずながら、見習っていきたい。

■「続・空手について」総括

ある時、サンドバッグを叩いている私に、館長が笑いながらこう述べられた。

「あなたが一番、変わったのかもしれないね」

当然、私などより精進されている方はたくさんいらっしゃるのだが、激励の眼差しとしてありがたく、以来、館長の言葉を脳裏に温めさせていただいている。

年齢や仕事、家庭環境の変化に伴う不安は大きく、かつては出まくった試合も、あと一回で打ち止め。だが、その先、細々とでも空手修行を継続して行こうと決めている。完

★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★

長々と10回にも渡って書いてしまいましたが、読んでくださってありがとうございました。

とりわけ、空手を愛する皆様へ、今後ともどうぞよろしくお願い申しあげます。押忍!

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続・空手について9

■反則

初めて目にする方もおられようが、これは「レディースガード」。男子では金的カップが当たり前だが、女子でも恥骨骨折などを回避するべく(実際、新〇真の大会では過去に起こったそうだ)、大会によっては装着を義務づけられるケースがある。

2004年、Y志〇都空手道選手権の新人戦のほうに出場した際、私は対戦者の股間に蹴りを放ってしまった。直後、下腹部を押さえ、コートにうずくまる相手へとっさに詫びたものの、涙目で無言。審議が二度行われ、ペナルティを課された私は、一本勝ち以外に勝機はなくなり、結局負けた。大変申し訳ないことをした思い出である。

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翌年、同大会の新人戦でこの防具装着が女子に課されたのは、金的ならぬマ〇的反則をやらかした自分のせいではなかったかと、今も密かに恥じている。

ちなみに、この対戦者と数ヶ月後に別の大会で会った時話したら、痛くはなかったとのこと。どうやらショックのほうが大きかったらしい、とわかった。

大事に至らなくてホントに良かった!

とりわけ若い女子の場合、こうした防具は必要だと思う。将来に出産を控えているのだから。良い機会なので、女子選手の今後のご参考までに、ぜひもう一点、付記しておきたい。

万一、脳ミソが揺れるような上段蹴りなどを側頭部に食らってしまったら要注意である!

脳の下垂体への衝撃→ゴナドトロピンという性腺刺激ホルモンがショックで分泌される→排卵→約2週間後に生理

通常は月に一度の女性特有のこの周期がおかしくなってしまい「あら、こないだ終わったばかりなのに、また来ちゃった」が発生するのだ。

私自身、3度ほど、試合や稽古でこれを経験している。身体を鍛えても、こうしたメカニズムは大変デリケートなので、女子どうしでスパーリングする際には、強めの上段は蹴らないよう心がけているつもりである。

ついでに・・・カレやご主人がいてバスコンしてる方も、蹴りを受けた直後のエッ〇には、くれぐれもご用心ということになる。

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続・空手について8

■あの日の闘い

結果として5年余で21大会出場は、道場の女子では最多となった。男子では水谷秀樹氏(彼はプロのキックボクサーとなったんで、ここに顔と実名を出させてもらってもよいかと判断して掲載しました)が最多で、氏の試合数のほうが圧倒的に多いが、それでも「試合出まくり」みたいな、(いいのか悪いのかわからないが)イメージを一時期振りまくこととなった。

いつのまにか、試合という非日常の緊張感や、その日に照準を当てて稽古することに夢中になっていた。

それゆえ、基本や型がおろかになったという反省が現在の大テーマとなったが、しかし、たくさん出場したことに後悔はない。

私にとっては「試し合い」を続けることでの学びは大きかったのである。

■減量

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これは、黄帯の時、軽量級で出た千葉の〇際総合でのワンショット(右)。自分の細さにあらためてびっくりしてしまうが、56.5kgのベスト体重を50kg以下に落とすのが、きつかった。

当時はフード中心のライターで、折悪しく、「郷土料理取材」で東北六県の米や菓子食いまくりと時期が重なり、落としては増え、の繰り返し。当日の計量時は空手衣を脱ぎ、ハイレグ水着一枚になって(何と恥ずかしい姿を人様に晒したろう・・・)、ようやく50.0kgでパス。

前夜は2度も低血糖症の発作に見舞われ、もうへろへろで負けた。日頃の稽古を試すというより、減量との闘いがメインとなった情けなさに、トイレにこもってわあわあ泣いた。軽量級のほうが、身体のでかい人に当たらずに済むからという考えは、少なくとも私においては、視野の狭い選択だったと思う。

相手がデカかろうが小さかろうが、巧いやつは巧い、強いやつは強い、のである。どんな選手にも対してこそ、試し合い。持病もあるし(ダイエットは私の場合、身体を害する)、以降は二度と減量しなくなった。

おかけでその後は、100kgを超える方や牛のように筋骨隆々で頑丈な方と対戦する機会にも、二回ほど恵まれたのだった。

■戦歴

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しかし、この五年余の前半では、緒戦敗退が多かった。へたれ負けやへたくそ負けだったと思うからこそ、悔しくて懲りずにまた出た。この間、道場のずいぶん大勢の諸先輩に面倒を見ていただき、また仲間に胸を貸してもらったことだろう。お世話になった方々の人数が大勢でとても全員書ききれないので、この場を借りて感謝を申し述べることで、何卒ご容赦ください!

で、後半、じょじょに勝てるようになり、計9回入賞できた。写真は宗家の初回大会での優勝ショットなので記念に載せさせてもらいました。

さまざまな大会を振り返り、とりわけ闘ったぁ~という実感が深かったのは・・・

2004年の〇AC〇ーキーチャレンジでの3位と、2005年Y志会の〇都空手道選手権大会一般部での3位。

外の世界には強豪がいくらでもいる。トーナメント途上で負けても、おいれとは巡り合えないような全国大会レベルの選手と対戦できただけでも、その収穫が、身体への痛みとともに刻まれたと思う。

そして、2チャンでは「よそで稽古してたからでしょ」とのカキコなどがあったようだが、それは誤解である。上述のように、大勢の方々にお世話になってきたことに加え、この時期より、他派〇真で稽古を積まれてから入門されたK氏にご指導いただくようになったことが、入賞への引き金だった。これだけは、明記しておきたかった。続く

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続・空手について7

■謎の人

「新宿大ガードそば」という繁華街のど真ん中、アクセス至便な道場には、実にさまざまな人がやってくる。先日、人間交差点、と形容したが、さらに新宿という特殊な地域ファクターが、道場生の顔ぶれを多彩にさせているのかもしれない。

とりわけ印象に残っているのが、現在指導員をされている「あの人」だ。

ある日の昼下がり、自主トレに行くとすでに先客がいた。白い空手衣に真新しい白帯を締め、おびただしい汗を流して後ろ蹴りを繰り返している。道場には過去に豊富な空手経験があったり、また段位を取得されている先輩が何人もおられるが、そうした方の一人にちがいない、という動きだった。

しばらくして言葉を交わすと、久々の空手復活であるとわかった。しかし、そのブランクをものともせず、以降も熱心に稽古を続けられていた。

年の頃はミドルエイジ。だが、ご自身に課したメニューを必ずきっちりこなしておられ、ついトシだからと言い訳しそうになる私は、ハッとさせられたものである。

もう一つハッとさせられたのが、新宿との長きに渡る係わり。現在の住まいや仕事場が新宿近辺という道場生は多いが、「あの人」は学生時代から新宿が行動拠点だったそうだ。

空手の腕を活かし、ディスコの用心棒で慣らした武勇伝をお持ちである。

このブログの前身となるホームページに歌舞伎町の黒服時代の写真を紹介したが、なかなかの反響だったんで、(ご好評にお応えし)、珠玉の一枚を再載する。

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さて、「あの人」は、何曜日に指導されていらっしゃる方でしょう? おわかりかしらん?

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続・空手について6

★予定★

今回から少しマキます。足掛け6年分の総括をしようとなると、エンドレス(汗)な気配もあり、それじゃ皆さんにお付き合いいただくのも申し訳なかろうと・・・

それに、メルマガ版いぬぼーも未着手だし。なので、あくまで目標ですが10回で完結をめざします。押忍!

■闘い事始め

さて、こちらは第二戦目となる会津カップである。↓心身が元気になり、勇んで初出場した東○ではへたれ負け。その翌月も出てしまったのだが、Oさんをはじめ、私が一勝するのに「力を貸す」といってくれた男子の稽古仲間の皆さんのエールがありがたかった。

20代だった男子も皆さん30歳を超え、道場で指導員となっている。私がババアになるわけである(苦笑)

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この時、おかげさまで初の一勝を経験できたのだが、二試合目の相手が悪かった。

  

  

  

  

空手経験九ヶ月の青帯VS前年度、○道会館一般部全国大会準優勝の白○会館二段のS津真○子さん。

Sさんはのちに新○真会主催の世界大会にも出場。はなっから試合にならない。セコンドについてくれた男子も「一発突いたら逃げろ」の指示のみ。まさにアリと象の闘いで、気づいたら床に倒れ、横に担架が置かれていた。

■闘いの底

上段回し蹴りの一本負け。蹴りこまれた脳みそをぐらぐらゆらしながら、Sさん陣営へ事後の挨拶へ行った。8月29日ブログとも若干カブるが再度、書く。

この時、相手方師範のおっしゃったことが、私の闘いの原点となった。

「あなた、これで底を見たでしょ。あとは、ここから這い上がっていくだけ」

で、這い上がりたくて、この5年余で21大会も出てしまうこととなったのである。続く

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ちなみに、左に写ってるのが昨日コメントを下さった久○さん。姉妹で応援にきてくださった。

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続・空手について5

■チョコが飛び交う

仕事や学校で忙しく、最近の道場での楽しそうな話題には、とんと疎くなってしまった。今もきっと、皆さんで稽古外にも楽しい交流があるんじゃないかと想像しつつ、5年前の2月14日にさかのぼってみる。

先日少しふれたY先輩のことだが、当時は合同稽古のコマを持っておられ、やさしく丁寧な指導に女子の人気が集っていた。

そのためか、ちょうどバレンタインデーに重なったY先輩コマでは、手作りのトリュフやクッキーなど、5件ばかり女子からの貢物が集った。

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↑まっ、これはイメージ映像ですが・・・

当方も感謝を込め、チョコレートケーキに白のマジパン(細工用の練砂糖ね)で「押忍」と大書きしたケーキを持参。稽古後に、皆で持ち寄ったスイーツを、わきあいあいで食べた。

性別も年齢も出身地も仕事もちがうオトナたちが、汗まみれの道着姿でともに甘いものをいただく。

空手稽古の場としては珍しい光景かもしれないが、こうした温かくほのぼのたる雰囲気が保たれていることが、★大ガード下の道場★の素晴らしい利点の一つなのではないかと思う。

まるで人間交差点・・・

実際、仕事上でも、先輩や仲間の専門分野の知識経験に助けていただいた経験も一つや二つではない。この時の印象は今もって変わらず、そんな相互扶助といおうか、空手外でも往還のあることを、ありがたく、そして誇らしく感じている。

付記/前述のY先輩が、最近、道場へ復帰された。ご事情あって長期休会されていたため、近年入門された方は「空手の王子様」(冗談ながらあくまでご本人の自己申告)をご存知ないので、これをお読みくださったことを機に、ぜひ、どなたがY先輩か当ててみてください(笑)

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続・空手について4

■復帰

ほどなくして、私は道場に戻った。休会は実質ひと月余の短い期間だったが、挨拶に訪れた際、「また、がんばりましょう」という館長のやさしさが心に染みた。

フラッシュバックは、なお若干残ってはいたが、仲間の励ましがとてもありがたかった。

とくに、Y先輩は、たまたま私の姉の学生時代の後輩で、年代こそちがえ私とも同じスキー競技のリーグだった。そんな共通項から最初に親しくさせていただいた先輩だったが、休会中も一貫して「戻ってらっしゃい」と温かく励まし続けてくださった。

また、残念ながらその時のメンバーは全員、転居や結婚等の諸事情で道場を去ったが「館長にお許しをいただき、女子有志で泊りがけの自主稽古をするからこない?」と、休会中の私を誘ってくれた。

房総の海に舞台を移しての稽古だったが、試合とは「日頃の鍛錬を試し合うこと」だと、この時、教えられた。

いつか、気持ちが過去へとブレなくなったら試合に出てみたいな・・・

そんなことをつらつら思い描きながら、フィクションを一つ書いた。

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これまた物書きのサガのようなもので、書くことによるカタルシス(自己浄化作用)を兼ね、主人公は若い白帯のオンナのコという設定ながら、休会中の見聞を一部整理して加え、物語にしてみたのである。

(今となっては悪名高き)出版社とのやりとりで、本にするのは叶わなかったが、歳月が経ち、後輩女子の方数名に原稿を読んでもらえ、「空手がんばります」との感想をいただいたのが、ちょっぴりうれしかったかな。

バレンタインデーの頃、この草稿が出来たのだが、この「告白デー」にも楽しいエピソードのある道場である。続く

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続・空手について3

■自主取材

休会した私がはじめたのは、空手に関する自主取材だった。当時はライターの現職だったので、わからないことや疑問はまず調べる。それが職業的習性でもあったからだ。

第一に、トラウマが復活してしまった原因を考えてみた。

それまで自分がやってきたスポーツは、トレーニングのしすぎ等による自損故障だったのに対し、相手がいたりチームプレーとなるジャンルでは他損故障が起こりうる。

ならば、

●空手という、突いたり蹴ったりする技を駆使するジャンルで、他の女性たちはどのようにそれを捉えているのか?

●道場によって、独自のケガ対策などはあるのか?

●また、痛い思いをせずに続けられる組み手はあるのか?

このような疑問を抱えながら、自分なりの見解を導きだそうとしたのだった。帰属道場では型を中心に稽古する女性が多かったので、そちらならケガの心配はない。しかし、先の大会で闘いに対する興味が芽生えていた矢先でもあったため、やはり組み手を自問自答の中心軸に据えていた。

空手に関する書籍も読んだ。

■一番印象に残ったのが、この一冊だった

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中でも、江戸時代の禁武政策により、オンナや子どもが身を守るための術としての護身の下りに感銘を受けた。 

攻めるより守る。勝つよりも負けない空手。

そこに端緒する武道を学ばせてもらった貴重な本であり、今も時折ページを開いている。

■Aさんとの出会い

二箇所ほど、稽古体験をさせてくれる道場も訪ねてみた。

どちらにも女性の道場生がおり、入門案内書の「近年は社会体育としての空手の普及をめざす」と書かれていたのが目に止まった。この点は、帰属道場のあの黄色いチラシにも具体的に記されていたことである。

痛い思いもするが、そうした経験も含め、気持ちを太くしていくのが、空手道としてめざす一つの方向性なのだろうか・・・

そんなことをつらつら考え、図々しくも(入門しないの通りすがりのオバサンなのに)、基本稽古をさせてもらった。ところが、その先々で一緒にからだを動かしているうち、道場の人たちの顔が浮かんできた。

不思議なもので、よそで稽古をさせていただくほど、道場が懐かしくてたまらなくなった。

この体験時、〇志会のAさんという女性と知り合った。

彼女は前に所属していた道場での組み手稽古中、グローブをしていたにも係らず、有段者の男性の強い蹴りを受け、小指を骨折してしまった。それゆえ、そこの道場長に「女性には弱めに出して欲しい」と願い入れたのだが、以降の人間関係が何だかギクシャクしてしまい、〇志会に移籍したのだと語った。

「性別や技量の差はあるから、そうしたことに気を配ってくれる今の道場にいるの。ケガはやっぱり怖いけど、でも、それより、巧く強くなりたいから」

まったくの偶然だったが、彼女は私と同い年の40代後半で、しかもライター。近しい境遇の女性が、自分なりの答えを導き出そうと稽古している姿が頼もしかった。

帰属道場でも、ケガ防止には細心の注意を払うようにとの方針で稽古が続けられている。

それでも、ちょっとしたタイミングのズレ等でケガが起こる場合がある。大切なのは、その先の心身の処し方なのかもしれない。

相手の技を巧く交わせるようになれたらケガもしないし、また自分自身の痛い思いを通して相手に技の緩急をつけて出せたら、相手にもケガをさせないだろう。

となれば、痛みも糧だ。

もう一度、自らの足跡を辿ってみた。

いいトシこいて、なぜ空手をはじめ、しかも組み手に惹かれたのか?

もしかしたら・・・私はトラウマを超えたかったのではないか?

初めて、自分の入門動機の深層に行き着けた気がした。続く

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続・空手について2

■フラッシュバック

先の大会の少し前、私は初参加したスパーリングで肋軟骨を潰していた。長年やってきたランニングやスキーでもそれなり故障してきたが、この時の空手におけるケガは、今までのスポーツで味わったケガとは、明らかに異質なものだった。

封印が解けてしまったのである。

個人的な打ち明け話で恐縮だが、私は20代でバツイチになった。そしてその間、DVってやつを多少なりとも経験していた。

圧倒的な体力差のある相手から受ける暴力的行為への対処法など知らず、逃げて、おびえて、すくんでしまう。そんな楽しからざる記憶だったが、その後は温かな家庭生活に恵まれ、長い間、思い出すことはなかったのである。

ところが、ケガもかなり回復し、久々に道場へ行った日のことである。

また稽古できるぞと喜び勇み、○真空手創始者である大山○達先生の写真に向かって一礼し黙想を始めた途端、当時のことがまざまざとよみがえってしまったのだ。

打ちつけられたコンクリートの床の冷たさ。つかんで引き回される髪の生え際の痛み。そして何より、無抵抗で横たわるからだに振り下ろされる蹴り。

幸福な毎日を送り、もう二度と思い出すはずはないと思っていたのに、当時の残像が、脳裏へ一気に押し寄せてきたのである。

20年もの間、封じられた記憶が、なぜ今になってよみがえるのか。

何よりここは道場であり、当時の場所とはまったくちがうのに。

幾度も頭を振ってかき消そうとしたが、治りかけの肋軟骨に響き、その痛みが再び残像を呼び寄せた。

大会観戦に高揚し、女子選手の闘いに感銘を受けた矢先でもあったが、いざ、空手の稽古を始めようとして、心身が縮んでしまう自分がそこにいた。

これじゃ、ちゃんと稽古などできない。

突然のフラッシュバックに苛まれた私は、奇妙な連鎖を断ち切りでもするように、道場を休会した。続く

 

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続・空手について1

■幸福の黄色いチラシ

2001年7月12日。私は一枚の黄色いビラを握り締め★新宿大ガードそばの道場★への階段を上った。

心臓が跳ね上がっていた。

学生時代から各種のスポーツをしてきたが、武道というのは未知のジャンル。40代も半ばをすぎた中年オンナが、果たして道場の門など叩いてよいものか。

しかし、その葛藤を後押ししたのが、ビラに書かれた1行だった。

「女性、中高年、病弱者歓迎」

猛者ばかりが集る弱肉強食イメージを払拭させるような門戸の広さ。その包容力に勇気づけられたのだが、さらに出てきた事務の女性のにこやかな応対に、その場で即、入門手続きを取ってしまったのである。

後に館長に伺ったところ、新宿界隈でこのビラは「幸福のチラシ」と呼ばれているとのこと。館長ご自身は〇真本部で厳しい稽古を経てきた方だが、「誰でも空手を学べる場を作るのが夢だった」そうで、それがこの1行に集約されていたのだと、あらためて感慨を深くした。

働く主婦という立場上、当時から現在に至るまで、夜の合同稽古へ定期的に参加するのはむずかしく、稽古の主体はもっぱら夕方の自主トレ。それでも、居合わせた先輩方は快く基本の突き蹴りや、移動稽古の運足などを教えてくれ、覚えの悪い当方でも、ひと月後にはどうにか合同稽古のメニューについていけるようになった。

そして、空手の「か」の字もわからないまま時が経ち、3カ月後の某日、先輩方が出場する大会の応援に行くこととなった。

 

■闘い明けて

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この日、当道場は、7名もの入賞者を輩出した。初めて観る組み手の試合の凄まじさに、一応援者として手に汗を握り、この結果を誇らしく感じた。が、それと同時に、他派の女子戦に遭遇したことが、当方には大きな衝撃となった。

オンナだって闘ってる・・・

男性の世界から発した空手で、女性も痛さや辛さを抱えながら試合に臨む。

アタシにもできるだろうか・・・

けれど、内心に芽生えた小さな興味より、心身に兆す恐れのほうが、はるかに強かった。

すでにケガを負っていたからである。続く

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四方割り3/3(番外編)

■ああ~、オマケがついちゃった(汗)

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当日の深夜になって、びっくり。右手中央の関節が噴火山のように膨らんだ。

本番では、よほど力んで裏拳を出したらしいが、とにかく★部位鍛錬が足りなかった★

みるみるうちに腫れていき、翌日の整体では一部できない手技もあり、往生する。

★整体師は手が命★

いかん、右手でガッツリ押せない・・・施術時間がいつもより長くなってしまった。

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折りしも北京から戻ってきた院長に「今後気をつけます」と侘び、早めに帰らせてもらう。

で、お土産にいただいた膏薬↑を貼った↓

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コレ、個人用シップ薬としては持ち帰れるが、業務用では不可となるスペシャルな中身が配合されていた。

豹骨、すなわち虎の骨の成分が入ってる。〇シントン条約に抵触してしまうので、中国の国外では販売できない貴重品だが、効いたっ! 貼ってから数時間で、腫れがぐんと収まったのである。やはり中国4千年の方剤学の歴史はすごい。

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当方も加齢に従い、いくつかの持病がある。

・先天性代謝異常による低血糖症(これまで運動を続けてこなかったら、とっくに糖尿病とかになってるらしい)。

・椎間板ヘルニア(これが、ライターから中国推拿師へ転職する直接のきっかけとなった)

・左膝の内側側副靭帯損傷(どうも完治は無理な状況)

いずれも大病じゃないから、大好きな空手を続けていける。ただし、内心最も恐れてるのは、更年期がきちゃって不調になったらどうしようってことだ。けど、こればっかりは、いつどうなるか、わからない。

そんなこんながアタマにあるのて゜、自らに大きな負荷をかける空手についての課題は、上述の事項がひどくなったりしないうちに、なるたけ挑戦しておきたいと願っている。

そして、同時にそれは、整体修行に支障をきたさない、空手と仕事を両立するための選択になっていくんじゃないかとも考えているところである。

押忍!!

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四方割り2/3(本番)

■いよいよ当日

格斗打撃連盟の理事長・遠山栄一郎師範の「格斗打撃 遠山道場」(@埼玉県蕨市)へ赴く。

当夜は成人の稽古日ではないにも係らず、立会い人として道場生の皆さんがお越しくださり、また、事前稽古にはキッズの皆さんがおつき合いくださった。

ご指導くださった遠山先生を始め、各位のご厚情に深く感謝している。まず最初に、この場を借りて、心より御礼申しあげたい。  

  

■胸十字を切って入場後、組み手構え

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BGMまで流していただき、かなり緊張。

  

■東/左正拳突き

前蹴りをさばいてから

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演武で倒し、板を割る

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■西/反転して前蹴り

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演武の際には、中足が返ってなかった(大チョンボ)。ビデオを見ていたく反省。

  

■南/裏拳

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敵の正拳を掴んで引寄せ、こめかみを狙う。たんにブン回しただけの裏拳になってしまったが、演武の際には、タイミングよく倒れてくださった立会い人に深謝。

  

■北/左中段回し蹴り

足の故障が完治せず、上段や後ろ蹴り等ナシの低空四方割りとなったが、これがラスト。

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とりあえず、気合いだけは終始一貫できたかもしれない。

顔だけコワくて、どれも相変わらずヘタでしたが・・・。

■完

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終了後、つたないながらも約1時間半、返礼稽古を仕切らせていただいた。

空手を通じて、多くの交流が生まれた。

いいトシこいてやってるおばちゃんであるためか、さまざまな会派の先生方から声をかけていただき、生涯の記念となる今回のような得がたい機会もいただいた次第である。

帰属道場の師範や諸先輩、仲間の温情はもとより、こうした経験を道場外でも積んでいけて、当方は何と恵まれているのだろうとしみじみ思う。

空手を一生続けていきたい。

  

  

  

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四方割り1/3(板を買う)

■格闘プロショップ・イサミへ行く

大変幸運なことに、格斗打撃連盟より、黒帯を拝領する運びとなった。

当連盟は防具付き空手やグローブ空手の道場を束ねる文部科学省所管の団体で、当方が帰属している極真系(フルコンタクト)道場とは、稽古や試合試合体系が異なる。が、さまざまな事情でお世話になった経緯があり、当方はこの連盟の事業本部長として大会のお手伝い等を行っており、いわばその功労的な意味合いで、昇段審査を受けることとなったのである。

審査課題は「四方割り」。これは、東西南北の四方向の敵を想定し、敵の攻撃を受けてから返すという演武の形式で、返し技の際、板を割るというものである。

焦った!

生まれてこのかた、板なんて割ったことがない。フルコンタクト空手歴は今夏で6年、帰属道場では1級(茶帯)をいただいているが、こうした経験は皆無だった。

そこで昨年の暮れ、試し割り用の板を買いにいったが、★一番薄い演武用の板★は、なんとソールドアウト。都内のイサミ全店にも在庫がないといわれた。在庫で残っていたのは、厚い杉板ばかり。

不安に駆られ、はなはだ姑息にも、東急ハンズで★とっても薄いベニヤ合板★を購入する。

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ところが、これがエラく固いっ!「あたしじゃ、板は割れないのかしらん・・・」

思い出すのは、「氷割り」を試した時のこと。某大会で白〇会館の杉〇館長が氷柱割りをされたのを観て感激し、さっそくマネした。中華料理店の厨房で、ふだんはトンカチで割る業務用の氷塊に、勇んで正拳を振り下ろしたのだが、拳に青アザを作っただけで、これまたエラい痛かったのである。

■半べそで

道場の先輩K氏に相談したところ「割れるよ。本来は杉の柾目でやるものだから、それでやれば」との返事。また同じく先輩の新しい侍氏に「だいじょうぶ。予備をあげるから、それを使えば」と板を頂戴した。

こうなったら、やるっきゃない。

しかし、(内心じゃ)悲壮な覚悟だったものの、やってみたら、あっさり割れた。

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ほっとしている当方に、やはり先輩のM氏から「木の繊維や密度の問題。むしろベニヤのほうが固い。杉なら3枚、ぶっつけ本番で割りましたよ」と、にこやかに諭され★厚さより、木質だったか★と謎が解けた思いだった。

■念のため

年初に新入荷した★割りやすい演武用の樅の合板★も購入。

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こちらは、さらに簡単に割れたのだが、しかし、安堵してもいられない★課題が残った★

左ミドルで割る稽古におつき合いくださった、優しい先輩のH氏の手に、背足をヒットさせてしまっていたからだった。

当たりゃ割れるけど、的をハズしたら、立会い人(板の持ち手)となる方に迷惑がかかってしまう。

四方の敵を想定しながら、戦々恐々と独り稽古を繰り返した。続く

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空手について

■五年前の7月

新宿の某道場(フルコンタクト=〇真系)に入門した。昨日、1年9ヶ月ぶりに審査を受けた。もし、次に審査を受けることになるとしたら、黒帯への昇段審査となる。

次、といっても、いつのことだろう。次であっても、とても遠く感じている。

_089 これは、入門の翌夏、道場の有志12名で「富士山麓24時間リレーマラソン」に参加した時のスナップだ。仮設テントで仮眠し、昼夜の別なくランナーを代えて走り続けるという大会。途中、暴風雨でテントがふっ飛ばされるといったアクシデントに見舞われながらも、めでたく24時間後にゴールできた。

空手ではないが、大切な思い出だ。

12名のメンバーのうち半数が道場を去り、残る2名が休会中。現在も稽古に通っているのは、当時の三分の一の4名のみ。社会人になってから始めた空手のため、結婚や出産、転居や転職など、各自の人生上の諸事情により道場を離れたのだから、やむをえない。

一つの道を同じ場で継続するというのは、どれほどむずかしいものか、と痛感している。ましてや黒帯の拝領となれば、そこに課される修練は、社会人空手といえど、やっぱり厳しい。

■武道の郷で

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これは初めて頂戴した敢闘賞のトロフィーだ。その後、幸運にもいくつか頂けることとなったが、会津という武道の聖地での初勝利は、当方の空手の事始において、忘れられない思い出だ。

何しろ、二戦目の相手が、正〇会館全国大会優勝の白〇会館二段の女子で、アリとゾウほどのレベル差のある対戦。あっという間に上段を決められ、床の上で気づいたときには担架が用意されていた。運良く後ろ蹴りを受けられた手も、亀裂骨折していた。

脳震盪でぐらぐら脳みそを揺らしながら挨拶に行った。対戦相手の道場の師範に「あんた、これで底を見たでしょ。だからね、あとは底から這い上がればいいだけ」と励ましを頂いた。

その言葉が根底から消えない。

それでも、仕事や私的事情が立て込めば、それを言い訳にして、すぐにからだをなまらせる。こんなことじゃ、「次」はこないぞー。

■↓焦ってフライイングした「砕破」

3 ブログやメルマガにご紹介してきたインヤン氏やもー〇ん氏、オー〇氏、K氏や新しい侍氏をはじめ、実に多くの諸先輩方に稽古をつけて頂いてる幸福や、現在も道場で汗を流し合える仲間の存在、また不定期参加ながらスパーリング交流会でご指導くださる部外の先輩方のご厚情を思えば・・・

がんばらなくちゃあかんわっ!

自戒に満ちた独り言になりましたが、あらためて、今日から「次」をめざしたいと思います。

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